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名古屋地方裁判所 昭和43年(わ)2099号 判決

主文

一、被告人川端かず、同長橋秀剛をいずれも懲役二年に

被告人河邊武雄を懲役三年に

各処する。

二、未決勾留日数中一五〇日を被告人らに対する右各刑に算入する。

三、押収に係るすりこ木一本(昭和四四年押第一六号の一)を没収する。

四、訴訟費用中、国選弁護人原山恵子、証人坂野政一に支給した分は被告人川端かずの、国選弁護人永田敏男に支給した分はこれを二分し、その一を被告人河邊武雄の、他の一を同長橋秀剛の各負担とし、証人河邊久一に支給した分は被告人河邊武雄の負担とする。

理由

第一、被告人らの経歴等

被告人坂野かずこと川端かずは、本籍地において九人兄弟の長女として生れ、尾鷲市内の女学校に学んだが途中学徒動員により中退し、終戦後間もなく親許を離れて名古屋市に来て、同市港区の旅館翠明館で働いていた際、昭和二四年ごろ坂野政一と恋愛結婚し(但し、届出は昭和二八年一一月二七日)、同人との間に六人(一人死亡)の子供をもうけた。被告人河邊武雄は、兵庫県養父郡大屋町で出生し、地元の高校を卒業後、小学校の助教員、代議士の秘書、飲食店経営、会社員等を転職し、本件犯行当事は作詩の仕事に従事していたものであるが、その間昭和二七年ごろ河邊道子と結婚し、同女との間に子供一人をもうけたが、昭和四一年初めごろ東京都江戸川区内に妻子を残したまま家出し、その後は妻子を全く顧みることなく、同年一一月ごろから被告人かずの妹川端桂子と同棲していたもの、被告人長橋秀剛は、本籍地で出生し、中学卒業後、店員をしたのち自衛隊に入り、五年余り勤務して除隊後は名古屋市に来て自動車運転手として働き、本件犯行当時は同市内宝交通株式会社のタクシー運転手をしていたものである。

第二、本件犯行に至るまでの経過

一、前記のとおり被告人かずは、坂野政一と昭和二四年ごろ結婚し、同人との間に六人の子供をもうけたが、同被告人は、生来負けず嫌いで勝気な性格を有し、一方政一も頑固で被告人かずに対する思いやりに欠け、金銭的に細かく生活費等も充分与えなかったところから、被告人かずはかねがね夫政一のかかる生活態度に不満を持ち、互に意見の衝突を来して夫婦喧嘩をすることが多かったところ、昭和三七年ごろに至り被告人かずは、政一の意向を無視して他から借金してアパートを建築したり、政一に異性関係を疑わせるような行動があったため、夫婦の対立を生じ、政一は被告人かずに対して暴力を振うこともあった。かようなことから被告人かずは、政一と離婚を思い立ったこともあったが、子供に対する愛情にひかれて離婚に踏み切れないまま共に生活を続けるうち、昭和四二年一月ごろ、被告人かずが、政一に無断で同人名義の約束手形を振出して他から借金し政一に損害を与えたりしたため、夫婦の対立がますます高まり、加えて政一は昭和四三年六月ごろ、交通事故にあいむち打ち症にかかって以来、同人の不快の気持も手伝って夫婦喧嘩をする回数も多くなり、政一の被告人かずに対する暴力もひどくなった。かようなことから被告人かずは、そのころより極度に政一を嫌うようになり、またそのころ被告人かずは、すでに政一に判明していた借金以外にも、前記アパートを建築した際の建築資金として、政一に無断で同人名義の不動産を担保にして他から多額の借金をしていたため、それが政一に発覚するとどのような暴力を振われるかも知れず、また、離婚されて子供達とも別れなければならなくなるかも知れないと思い、右事実が同人に発覚することを恐れ、不安の毎日を過すうち、いっそ同人とこのまま生活を続けるよりは同人を殺害して自己の意のままに生活することを考えるに至った。

二、かくして夫政一を殺害することを決意した被告人かずは、妹桂子の情夫で以前同被告人方の近くに住んでいた際何かと一身上の問題について相談に応じてくれていた被告人河邊にその実行を依頼しようと考え、同年九月ごろ東京に居た同被告人に電話してわざわざ名古屋に呼び寄せ同被告人に、夫殺害の意思を打明け、その実行を依頼したところ、同被告人は、暗にこれに同意した如く装い、その方法として、政一は日頃自動車を運転していることから走行中他の者をしてわざと同人の自動車に衝突させ、自動車による事故死を装って殺害することなどを話合い、その相手方を東京で探して来るようなことを申し向けて被告人かずからその費用として金一〇万円を受取り、さらに数日後神戸の暴力団に依頼するようなことを話してその費用名下に金二〇万五〇〇〇円を受取り、続いてそのころ、種々の口実を設けて数回に亘り金二五万円余を受取ったが、実行に着手しなかったので被告人かずから早く殺害の実行に着手するよう何度か催促があった。そこで被告人河邊は、これまで被告人かずから多額の金銭を受取っている手前、政一を殺害するに至らないまでも、同人の乗車する自動車に細工をして同人を自動車事故にあわせるような事件を引起し、被告人かずの催促に応ずるような行動をとったかの如く装うべく、そのためには自動車の知識に明るい自動車運転手に実行させた方がよいと考え、適当な自動車運転手を捜すうち、たまたま同年九月一五日ごろ、競馬に行く際乗車したことから知り合ったタクシー運転手の被告人長橋にこれを依頼することを内心考え、チップをはずんで同被告人の歓心を買い、その後も数回に亘って競馬、競艇に行く際、同被告人を指名して同被告人のタクシーを利用し、その都度多額のチップをはずんだり酒食の提供をしたりして同被告人との関係を密接にした上、同年一〇月下旬ごろ、同被告人に対し「実は金を借りている奥さんから頼まれて断れずに困っているのだが、その奥さんの夫を交通事故にあわせてくれないか、一〇万円お礼をする。」旨申し向けて被告人かずの夫政一を交通事故にあわせることを依頼し、被告人長橋もそのころ競馬、競艇等の勝負事にふけり、金銭に窮していたので金欲しさのためこれを応諾した。

三、そこで被告人河邊は、被告人かずから政一が同年一〇月一二日むち打ち症の治療のため岐阜県多治見市に自動車で行くことを聞き、前日一一日夜被告人長橋と共に被告人かず方に赴き、同被告人に被告人長橋を紹介すると共に、被告人らは意思を相通じ、被告人長橋において政一が乗車予定のパブリカライトバンのブレーキパイプをやすりで切り、その上にセロテープを張っておいて同人が翌日乗車した際自動車事故を起こすよう細工をしたが、事前に同人が発見したため事故に至らなかった。そこで被告人らはさらに数日後政一が乗車予定の自動車のブレーキマスターに被告人長橋においてセメントを流し込んだがこれも事故に至らず、さらに続いてその数日後、同被告人において政一が乗車予定の自動車の左前輪のナットを一個だけ残して他の五個を取り外しておいたが、これも政一に事前に発見され事故に至らなかった。なお被告人長橋もそのころ被告人かずから謝礼として数万円の交付を受けた。

第三、罪となる事実

かくして右計画が三回とも失敗したため、被告人かずは、政一に同人殺害の計画が発覚することをおそれ、被告人河邊にもっと確実な方法で殺害計画をたてるよう催促し、一方被告人河邊も被告人かずからその真意を疑われ、同被告人から殺害計画を立て直すよう催促されるに及んで、被告人河邊は、政一を殺害すればさらに被告人かずから金銭その他の報酬を受けられることを期待し、その意を被告人長橋に告げ、ここに同被告人らは共謀の上、同年一〇月下旬ごろ政一を殺害することを決意し、その方法として政一に自宅で睡眠薬を服用させて昏睡させた上、これまで同人がむち打ち症の治療のため多治見市に行く際に利用したことのある道路のコースにある同市と愛知県春日井市との中間の内津峠へ同人を自動車に乗せて運び、同所で同人を運転席に座らせてあたかも同人がここまで同車を運転したかの如き体位にしたまま自動車を走行させて峠の崖に衝突させるか、又は、峠から谷間に自動車もろとも墜落させるかして交通事故による死亡に見せかけて殺害することの殺害計画を立て、同年一〇月三一日、被告人長橋において被告人かずを自己の営業車に乗せて内津峠まで案内し、右計画を説明して同被告人の同意を得、睡眠薬は被告人かずにおいて夕食時に政一の飲用する酒の中に混入して服用させることなどの打合わせをした上、犯行の日を同年一一月三日早朝ときめた。

かくして被告人らは、右計画に基き、被告人長橋において睡眠薬ノクタン錠を購入してこれを粉末にしたものを被告人かずに渡し、かねて打合わせたとおり被告人河邊、同長橋は同月二日夜政一宅に赴き、戸外で待機して被告人かずが政一に睡眠薬を服用させるのを待ったが、その夜は政一が夕食時に酒を飲まず右睡眠薬を服用させることに失敗したため、やむなく犯行を中止した。

そこで、被告人らは同年一一月八日午前中、被告人長橋の運転する自動車内において、再度右計画の打合わせを行い、より一層犯行を確実にするため政一に睡眠薬を服用させて昏睡させ、さらに木棒で同人の頭部を殴打して同人を完全な気絶状態にした上同人を内津峠まで運び、もし右犯行に失敗した場合には強盗を装うこと等の打合わせをした上、被告人かずにおいて強盗を装うための玩具のピストル(昭和四四年押第一六号の四)、殴打用のすりこ木(同押号の一)を購入準備し、犯行の日を同日夜ときめた。かくして、右計画に基き、被告人かずは、予め粉末にして用意した睡眠薬ノクタン錠約二〇錠分の約半分位を、政一が夕食時に飲用する清酒の中に混入し、肩書住居地の同被告人方自宅において、同日午後九時ごろから午後一一時ごろまでの間に同人が飲用した清酒約二合五勺と共に服用させ、さらに午後一一時三〇分ごろ残り一〇錠分をジュースの中に混入して服用させた上、翌九日午前三時四〇分ごろ、被告人長橋において前記自宅奥八畳間に睡眠中の同人の上部顔面部分を所携の前記すりこ木で一回殴打し、同人を気絶させようとしたが、同人が眼をさまし抵抗したため同人に対し、全治までに約一週間の安静加療を要する頭部左顔面打撲傷および外眼角裂創の傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げなかったものである。

第四、証拠

右の事実中判示第一の事実は≪証拠省略≫

判示第二、第三の各事実は≪証拠省略≫を綜合してこれを認める。

第五、法令の適用

被告人らの判示所為は、刑法第二〇三条第一九九条第六〇条に該当するところ、情状について考えて見ると、被告人かずが、夫政一の殺害を決意するに至った動機は、同被告人は政一と結婚して二〇年近く連れそい、五人の子供までもうけたのであるが、判示のような事情で結局夫婦の破綻を来し、政一から暴力を振われるに至り、同被告人の政一に対する長い間の不満が遂に爆発したものと認められ同情すべき点があるが、一方、証拠によると、かかる夫婦の破綻を来し、政一が暴力を振うに至ったのも、その原因の一つは被告人かずが政一に無断で他から借金をしたりする等政一の意思を無視して勝手な行動をとり、妻としての心構えに欠ける点があったからであることが窺われ、政一の非のみを責めることはできない。そして同被告人は一旦政一殺害の決意を固めるや、被告人河邊にその実行を依頼し、同被告人に多額の金銭を与えてその実行を催促する等殺意にも強固なものがあり、また、政一殺害後保険金を取得するため同人に約三〇〇万円の生命保険をかける等犯情に重いものがある。被告人河邊は、被告人かずから政一殺害の実行を依頼されて本件犯行に加担するに至ったものであるが、右殺害を依頼されるや、当初は同人を殺害する確定的な意思はなかったとはいうものの、恰かも、これを承諾した如く装い、種々の口実をもうけて同被告人から多額の金銭を受取り、さらに報酬を受けられることを期待して本件犯行に至ったもので、被告人河邊には政一を殺害すべき動機は全くなく、本件は被告人かずから金をとることのみを目的として金目当ての犯行である。現に被告人河邊は被告人かずから判示において認定した金五五万五〇〇〇円余の金員を含めて八〇万円近い金銭を受取っている。また被告人河邊は既に結婚し妻子がありながらこれを放置して全く顧みず、被告人かずの妹桂子と同棲し、競馬、競艇等の遊興に耽り、前記金円も右の遊興費等に費消している等その生活態度も悪く、犯情が重い。被告人長橋は、被告人河邊の甘言に乗ぜられて本件犯行に加担したものであるが、被告人長橋にも被告人河邊と同様政一を殺害すべき動機は全くなく、被告人かず、同河邊からの報酬を期待してなした金目当ての犯行である。被告人長橋には被告人河邊ほどの報酬に対する積極的期待はなく、また現に受けた報酬も約七万円位であったけれども、直接の実行者である点で犯情決して軽くはない。以上の諸事実と、本件は幸い未遂に終り、傷害の程度も比較的軽微であった点、とくに被告人かずにつき、同被告人には中学三年生を頭に四人の子供があり、同被告人が一日も早く刑期を終え、共に生活できる日を待ちわびていることおよび被害者政一も同被告人を宥恕している点等を考慮し、所定刑期範囲内で被告人河邊を懲役三年に、被告人かずおよび同長橋については刑法第四三条本文第六八条第三号により未遂減軽をした上、所定刑期範囲内で、同被告人らをいずれも懲役二年に処し、同法第二一条に従い未決勾留日数中一五〇日を被告人らに対する右各刑に算入し、押収に係るすりこ木一本は本件犯行の供用物件で被告人ら以外の者に属さないから同法第一九条第一項第二号によりこれを没収し、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文に則り、国選弁護人原山恵子、証人坂野政一に支給した分は被告人川端かずに、国選弁護人永田敏男に支給した分はこれを二分し、その一を被告人河邊に、その余は同長橋に、証人河邊久一に支給した分は被告人河邊に各負担させることとする。

なお、被告人らの各弁護人から、被告人らの本件坂野政一の殺害計画は、およそ(一)右政一に睡眠薬を飲用させ、又は木棒で殴打して同人を昏睡又は気絶させ、(二)その状態を利用して同人を自動車に乗せて内津峠まで運び、(三)更にその状態を利用して同人を自動車に乗せたまま同峠の崖に衝突させるか或は自動車もろ共谷間に墜落させるかして同人を殺害するという時間的に接続して為される三個の行為によって成立っているのであり、これらの行為のうち、現実且つ直接的に右政一の殺害に結びつく行為は右(三)の行為であることが明らかであるから、この行為に着手したときに初めて「犯罪の実行に着手」したものと謂うことができるのであって、少くとも本件の如く右(一)の行為の段階においては単にその準備行為に過ぎないから、本件は殺人予備罪をもって問擬すべきものである趣旨の主張があったので、この点について付言する。

一般に、犯罪の実行の着手の考え方については、主観説、客観説等種々の見解の存するところであるが、当裁判所としては、本件の如く数個の連続且つ殺人行為そのものに向けられた一連の計画的行為(従って茲では例えば本件の場合睡眠薬を入手する行為或は木棒を準備する行為の如きは殺人のための行為であっても殺人そのものに向けられた行為とは謂えない)換言すれば、殺人行為そのものに向けられたということで限定された一連の計画中の一つの行為の結果によって次の行為を容易ならしめその行為の結果によって更に次の行為を容易ならしめ最終的には現実の殺人行為それ自体を容易ならしめるという因果関係的に関連を持つ犯罪行為の場合においては、これら一連の行為を広く統一的に観察し、最終的な現実の殺人行為そのもの以前の段階において行われる行為についても、それらの行為によってその行為者の期待する結果の発生が客観的に可能である形態、内容を備えている限りにおいては、前述したとおりその行為の結果は後に発生するであろう殺人という結果そのものに密接不可分に結びついているわけであり、従ってその行為は殺人の結果発生について客観的危険のある行為と謂うことができるから、その行為に着手したときに、殺人行為に着手したものということができると考えるのである。そこでこれを本件について見ると、被告人らの企図した判示政一殺害計画は、冒頭の弁護人主張の部分において述べたとおりの内容のものであり、本件犯行は右主張の(一)の段階に属する行為であるけれども、若しこの行為が被告人らが期待するように政一の昏睡又は気絶という結果の発生が客観的に可能である形態、内容を備えている限り、若しこの行為が遂行されれば次の段階として企図された同人を自動車に乗せて内津峠まで運ぶ行為も極めて容易となり、さらに最終的な同人の殺害行為自体も容易となる関係にあったことが認められるから、前記当裁判所の見解として述べたとおり、本件犯行の段階において実行着手の問題が生じてくるわけである。

そこで、本件犯行が以上述べたような形態、内容を備えていたものであるかどうかを考えてみるに、証拠によると、被告人かずにおいて政一に飲用させた睡眠薬ノクタン錠の量は二〇錠であることが認められ且つ政一はそれによっては充分熟睡するに至らなかったことが認められるから、右行為だけでは前記危険性を有する行為であったとは認められないが、判示被告人長橋において政一の頭部をすりこ木で殴打した行為が加われば、右すりこ木は長さ約三〇センチメートル、太さ五センチメートルの比較的軽い桐の棒であって本件犯行の際にはこれに布を巻いてあったけれども、特に本件の如く睡眠中という特殊の条件の下にある人の頭部を殴打すれば、場合によっては気絶するに至ることも充分あり得るものと認められ、右殴打行為は前記危険性を有する行為であったというべく、従ってこの行為に着手した時点において被告人らは、政一殺害の実行に着手したと思料した次第である。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 野村忠治 裁判官 軍司猛 鶴巻克恕)

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